~ 発達障害者の壮絶な高等部生活 ~
高等部1年生。私は少なくとも週1で大きなパニックを起こしていた。
泣きながら廊下を歩いたり、そこら辺に座り込んだり。
授業中でもふら~っとどこかに行ってしまうため、当時教育相談をしていた先生がこんなものを作ってくださった。
<ヘルプカード>
きちんとラミネートまでしてくれている。
この他にも二種類あった。
「休ませてください」「相談室に行かせてください」
内容は自分で書くもの
休ませてくださいと言えない私に、先生が考えてくれて。
頼むから、これを机の上に置くだけでいいから。
それだけはしてとこれをくださった。
高1といえど、2年遅れの入学なので、17・18歳の年である。
今なら選挙権もある。結構大人な年じゃない?
そんな年齢の時にこれを使っていたのである。
ちなみにその当時ヘルプカードを作ってくださった先生とは、ありがたいことに今も交流がある。
年に一度はお食事に行く関係である。
先日も非常に素敵なコース料理を食べながら、教育や福祉について熱く語ってきた。
実はこの先生と同じ学校に居たのはたったの1年である。
就学前の相談を含めても、1年半くらい。
別れの辛さ
それを知ったのは、この先生の異動がきっかけだった。
当時、今生の別れの如く泣いていたが、よく考えるとそれまでの私は誰かと別れる、離れるということに対して、何か思ったことが無かったのかもしれない。
たぶん、人にそこまで興味がなかったのだろう。
始めて人への興味と別れの辛さを教えてくださったのもその先生である。
また、当時の私は普段の学校生活では常にメモ帳を持って、いつでも 筆談が出来るようにしていた。
そんな高1(17・18歳)が5年後社会人になるのである。
正直、自分でも考えられない。
発達障害は必ず発達する!
そして社会で働く大人になる!
そのことを身を持って体験した。
見捨てなかった先生方、家族のみんな、ありがとうございます。
私もおなじような子どもや大人に出会ったら見捨てない。寄り添う。
それが今の、そしてこれからの私が出来る唯一の恩返しになると信じています。
独りで悩まないで。働きたい、でも働けない。そんな大人の方、まずは相談してください。
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凸凹ちゃんすという名前が出てきます。それが私です。